四ケ所です。今日は研修講師として私が皆さんにお伝えしたい、教育の在り方のお話です。
私は、MG(マネジメントゲーム)というものをお伝えさせていただいています。そして研修講師としてお仕事をさせていただく中で、ご受講生の皆様の前に立たせて頂く前に必ず目を通す本があります。いつも持ち歩いているお守りのような本です。それは、MG教科書Aという本です(※絶版となっており、現在は復刻版のみの販売です。)
この本は、その名の通りMGの教科書です。MGを体験されていらっしゃらない方にとってはイメージしにくい本だと思いますが、実は、書いてある内容が人を育てる立場の全ての人に共通するものになっています。その共通点というのは何か。この本は、単なるインストラクションのやり方ではなく「あり方」に関する本なのです。著者である西先生は、インストラクターとは、まず第一に「教えてはならぬ」と書いています。この教育のあり方は、小倉広さんの「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」や天外伺朗さんの「教えないから人が育つ〜横田英毅のリーダー学」にも書かれていることなので、考え方としてはすでにご存知の方も多いかと思います。
なぜ、教えてはいけないのか?
TOC(Thory of Constraints)を提唱した故エリヤフ・ゴールドラット氏は、「教育において最も愚かなことは、相手から気付きを奪うことだ」と言われています。
つまり、何かをお伝えする立場にある人物が、相手の成長を願う(信じる)からこそ教えてはいけないのではないかと思うのです。・気付き力を育む・自主性を育む・主体性を育む・思考力を育む・創造力を育む、というように、教えないからこそ育つものがたくさんあると私は考えますが、皆さんはいかがでしょうか。
私には、自らの信念を12条にまとめた「一燈照隅 十二の有」があります。その1つ目は、「人を育てる意志ある者に、一(はじめ)を貫く信念有り」という言葉です。私は、決して教育を諦めません。なにがあっても絶対にかかわり続けます。その意志を表したのが、上記の言葉の意味です。
ですから、講演でも研修でもコンサルでも一番最初に「教えない」ということを話させて頂いています。それが、自ら考え主体的に動く人財に繫がると信じているからです。
しかし、この「教えない」という文化が、間違って伝わってしまったことがありました。「教えない」の目的は、相手の成長です。その目的が正しく伝わらず、いつの間にか「教えなくてもいい」になってしまっていたのです。まったく何も教えない会社、コミュニティ、家庭・・・人の成長を大切にするからこそ「教えない」を実践していたはずなのに、何も教えないから、人が育ちませんでした。
その原因は、コミュニケーションの取り方にありました。相手に伝わらない理由として、2つのコミュニケーションがあると言われています。それは、ミスコミュニケーションとディスコミュニケーションです。ミスコミュニケーションとは、話したことが間違って伝わっていることを意味します。人はそれぞれ自分フィルターを通して相手の話を聞きますので、認識がずれていることに気がつかない場合があります。一方、ディスコミュニケーションとは、相手は分かってくれているだろうと思い、会話そのものをしていないことを意味します。
教えなくてもいいではない
「教えなくてもいい」になってしまったのは、このディスコミュニケーションが原因でした。「教えない」のは何故か?という最も大切な目的に対するコミュニケーションが、全く足りていませんでした。ただでさえ、一人ひとり育った環境や価値観は違う中でミスコミュニケーションが起きる可能性があるのに、それを繰り返し繰り返し伝え続けることを怠ってしまったのです。
弊社の湯ノ口講師は、CCLという研修の中でよくこの言葉を使います。「これでもか〜、これでもか〜、まるで砂漠に水を撒くかのように、これでもか~、これでもか~」。この表現を通して、湯ノ口講師は人財育成には時間がかかること、そしてそれを理解したうえで、何度も何度も繰り返さなければいけないことを伝えています。さらに、今井講師は、ディズニーやUSJでの人財開発の経験から皆さんに「質の高いコミュニケーションは、圧倒的なコミュニケーションの量から生まれる」とお伝えさせていただいています。
共通体験・共通認識・共通言語を創り出し、ミスコミュニケーションやディスコミュニケーションを排除するためのたった1つの方法は、全社員さんで同じ事を体験し、そのことについて徹底的に話し合うことなのかもしれません。そのうえで「教えない」ことを実践していく、そんな場を作り出していけたらと思っています。