鉄は熱いうちに打て、という言葉がありますが、鉄は真っ赤なうちに打たないと冷えて硬くなってしまいます。私たち人間の熱い気持ちも、その気持ちの時に行動しないと、冷めていく一方です。
慎重さと行動力
行動ができなくなる理由の一つに、考えすぎというものがあります。もちろん、何か行動する前に、下調べをするだとか、よい方法を考えるとか、リスクを想定することはとても大切です。しかし、「もう少しきちんとしたらやる」「しっかり考えてから行動する」と思っている間に、行動したいという欲求はどんどん弱くなっていきます。その「きちんと」はどのくらいなのでしょうか。「しっかり」とはいつまでなのでしょうか。
おそらくこう考えているときに、根底にある感情は恐れや不安、恥の感情です。失敗したらどうしよう、私なんかがやってもうまくいかない、間違えたら怒られる、等々、考えれば考えるほど動けなくなってしまいます。もし問題をすでに考えついていて、その問題を自分で解決できるのであれば、解決策についても考えることは必要ですが、自分でコントロールできないこともあります。そして、動いてみると意外に想定していた問題以外のことが出てくることのほうが多いかもしれませんし、問題が杞憂に終わることもあるでしょう。でもこれは実際に動いたからこそ分かることです。ある程度まで考えたら、考えながら動いてみる。すこし一歩踏み出すだけで、次の一歩は格段に軽くなります。はじめの一歩は、だれもが力を使うものです。
考えすぎるのは、慎重な人であるともいえます。慎重なのは素晴らしい長所です。行動力を持っている人には、慎重な人の協力が。慎重な人には、行動力のある人の協力があると、いいのかもしれません。
そしてもう一つ。鉄は熱いうちに打てという言葉にはもう一つ意味があります。それは、精神が柔軟で、吸収しやすい若いうちに鍛えることが必要だという意味です。私たちは「今」が一番若い時です。でも、時間は待ってくれません。経験を積めば積むほど、過去の失敗体験や成功体験にとらわれやすくなり、これもまた行動する力を鈍らせます。
古代ローマの政治家であり哲学者でもあったルキウス・アンナエウス・セネカはこんなことを言っています。
「ある者は過去の記憶をむし返して、我と我が身をさいなみ続ける。ある者はまだ見ぬ罪におびえて、我と我が身を傷つける。どちらも愚か極まることだ。過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ。」
皆さんは今、行動していますか?