どんなに価値観が多用化しても『思いやりを持つ』と言うことが鍵!

2019/02/23

 私達一人ひとりの意識が言動に現れ、社会を作っているのは言うまでもありません。ジェネレーションギャップや価値観の多様化で常識という概念が曖昧になる中、「人として大切にしなければならないものはある」と私は思います。

 

最近、自分の言動によって他人を傷つけた時、素直に謝れない人が増えてきた様に感じます。

先日、弊社スタッフと会食をしていた際、20代後半くらいの青年が私達のテーブルの横を通った時、テーブルの横に置いてあった一升瓶にあたり一升瓶が倒れて弊社スタッフにお酒がかかるという出来事がありました。私達は慌てて店員を呼び、スタッフにかかったお酒や床にドボドボとこぼれたお酒を拭いていました。しかし、瓶を倒したその青年はチラッとこちらを見ただけで立ち去ろうとしたのです。私が堪らず注意をしたらちょこんと首を下げるだけ・・・。「故意ではないにしろ、君が倒した一升瓶で濡れた人がいるのだから、きちんと謝るべきではないか。」と再度注意をしても、びっくりした様子でただ呆然と立っているだけ・・・。近くにいた上司らしき年配の人に事情を話すと、ようやく小さな声で「すみません。」と謝ってきました。

私達は、ただ謝って欲しかった訳ではありません。自分がしてしまった過ちに対し、キチンと責任を取るのが大事だと思ったのです。「すみません。」「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」と一言伝えるだけで、相手の怒りの感情は小さくなり、物事が円滑に進む事はたくさんあります。

人に危害を与えても、責任を感じないことを危惧するのです。

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一方、テレビニュースや新聞、ネットで盛んに取りざたされているのが「バイトテロ」です。動画を見ているだけで、人として胸がとても苦しくなります。自分の取っている行為が、周りの信頼や人として尊厳を失墜させていることに気づかないでいるのです。

そこで働く会社の人たちが、どれほどの苦労をして信頼を積み重ねてきていることを思えば憤りを感じます。自分達のおもしろ半分で「これくらいならいいだろう。」という軽率な行為が、どれくらいの人を傷つけるかということを考えられなくなっていることに危機感すら覚えます。

自分以外のことは消極的で無関心な傾向にあり、いざ自分の事となるとキレる!『自己中心』という言葉は今に始まったことではありませんが、私達はこの社会の中で快適に暮らしたいと誰もが望んでいます。社会生活がギクシャクし居心地の悪いものになれば、私たち自身も暮らしづらくなります。自分の行った言動は、巡り巡って自分に返ってきます。

人は影響せずにはいられないし、影響されずにはいられません。

自分や自分の大切な人を大切にする様に、自分が関わる全てのものを思いやることができれば、本当に豊かな社会になるのでしょう。どんなに価値観が多用化しても『思いやりを持つ』という事は、人として忘れてはならない大切な軸だと思います。